ナッジ理論とは?マーケティングに応用できる行動経済学

ナッジ理論とは?マーケティングに応用できる行動経済学

ナッジ(nudge)とは、1.軽く押す・突く、2.少しづつ動かす、3.(ある段階や標準に)近づく、4.優しく・丁寧に説得するなどの意味があり、人の行動を促すための働きかけというニュアンスを持っています。

ナッジ理論の人間の心理的特性に着目して行動変容を促すという考え方は、マーケティングにも親和性が高く実務の現場にも普及しています。

ナッジ理論をマーケティングに活用するための基本的な知識について解説します。

ナッジ理論とは

個人や組織、社会全体を望ましい方向に導くことを目的とし、規制や制度などの外部からの強制によらず、行動科学の知見を応用して自発的な行動を促すための環境設計や仕掛けづくりの枠組みを示したのがナッジ理論です。

行動経済学者リチャード・セイラー教授と法学者キャス・サスティーン教授の2008年の共著「Nudge:Improving Decisions About Health,Wealth, and Happiness(邦題:「実践行動経済学」)」によって提唱されたもので、セイラー教授は2017年のノーベル経済学賞を受賞しています。

理論の着想がまず取り入れられたのは政策分野であり、イギリス政府が税収の増加や経費削減のためにナッジ理論を活用し、大きな効果を挙げたことで理論の実用性が認められました。

イギリス以外にも、アメリカ、フランス、デンマークなどで、公的機関に位置づけられるナッジユニットが作られ、日本においても環境省が主体となる「日本版ナッジ・ユニット連絡会議(BEST)」、経済産業省の「METIナッジユニット」のほか、各自治体でナッジの活用が進んでいます。

ナッジ理論の定義

ナッジ理論の定義は、「どんな選択肢も閉ざさず、また人々の経済的インセンティブも大きく変えることなく、その行動を予測可能な方向に改める選択的アーキテクチャの全様相」とされています。

この定義の本質を理解するためには、リバタリアン・パターナリズムと選択アーキテクチャについて知ることがポイントです。

リバタリアン・パターナリズム

ナッジ理論ではリバタリアン・パターナリズムという考え方が主張されています。リバタリアンは自由放任主義、パターナリズムは権力や能力のある立場から弱い立場の人に利益を提供するために介入・干渉を行うという意味です。それぞれ相反する概念ですが、ナッジ理論が、その2つを両立させるものであることをあらわしています。

例えば、過度な肥満は個人の健康的な生活を脅かすだけでなく、肥満の人が増えれば医療費の増加などの社会的にマイナスの影響をもたらします。だからといって国の政策や制度によって食生活の選択に強制や制限を与えるのではなく、健康的に長生きするための自発的な選択につながる仕組みを提供するのがナッジという考え方です。

選択アーキテクチャ

選択アーキテクチャは望ましい選択に結びつく仕組みや意思決定の環境のことであり、リバタリアン・パターナリズムにもとづいて設計される必要があります。

良い選択アーキテクチャとして6つの原則が提示されています。

デフォルトを設定する

推奨する選択肢を暗黙的、または、明示的に示唆すると選ばれる確率が高まります。人は選択を迫られる場面で、選択の対象に対する理解が少ない場合や関心が薄い場合には、選択するという思考の負荷を避ける傾向があります。

【具体例】

  • PCのデフォルト設定
  • ソフトウェアのダウンロード
  • オプションサブスクリプションサービスの自動更新

エラーを予期する

人の行動には必ずミスや間違いが伴います。あらかじめエラーが起きることを想定して設計されたシステムは使い勝手と利用効率を向上させます。

【具体例】

  • 自動改札機のカードの挿入の仕方
  • シートベルトの締め忘れ警告音
  • 自動車のガソリンとディーゼルの給油口の大きさの違い

フィードバックを与える

選択や操作が正しいか間違っているかのフィードバックを与えること、または、状態をモニタリングできるようにすることでエラーを回避できる可能性が高まります。

【具体例】

  • デジタルカメラのシャッター音
  • ラップトップパソコンのバッテリー残量の警告
  • 乾くと発色が変わるペンキ

マッピングを理解する

選択肢と選んだ結果の対応関係がわかりにくい場合、最初に選択の結果の理解を促す情報を提示することで、適切な選択をできるようになります。

【具体例】

  • デジタルカメラの画素数に対する推奨プリントサイズの提示
  • 料金プランが複雑な場合の比較情報の提示

複雑な選択を体系化する

選択肢が多い場合や複雑な場合に、選択肢のカテゴライズや序列化など、構造化・体系化を図ることが選択の負荷を低減させることにつながります。

【具体例】

  • 塗料のカラーチャートの提示
  • 動画配信サービスの作品のジャンル分け

インセンティブを与える

行動や選択のインセンティブが複雑な場合、利用者・選択者・コスト負担者・受益者を明らかにし、それぞれのメリット・ベネフィットを具体的に示すことがインセンティブを高めることにつながります。

【具体例】

  • 電気器具の節電金額のリアルタイム表示
  • ダイエットマシンの消費カロリーの表示

ナッジ理論と行動経済学

ナッジ理論は、行動経済学ダニエル・カーネマンが提唱した、人間の意思決定メカニズムに関する二重過程理論を背景としています。

二重過程理論は人間の思考がときに不合理な決定を下すことに着目した理論であり、人間の認知システムが直感的なシステム1と論理的なシステム2に分けられるとしています。

それぞれは次のような特徴を持っています。

システム1システム2
無意識的速い思考本能的感情的直感的努力が不要習慣や練習によって形成自覚的遅い思考理性的客観的論理的努力が必要ルールによって形成

日常生活のなかでのさまざまな選択に際して、システム1とシステム2が行き来する形で意思決定が行われますが、そのうちの約95%がシステム1によって行われているとされています。

バイアス

システム1にもとづく意思決定がなされるのは、人間の認知には偏りや歪みが起こりやすいためです。認知の偏りや歪みのことをバイアスと呼び、ナッジ理論では次のようなものを挙げています。

経験則

既に経験している選択は同じ選択にたどり着く可能性が高く、経験に従うことが思考プロセスを省略し意思決定を効率化することにつながる一方、経験則に依存することで直面する現実を見誤る可能性を高めます。

経験則には以下のような種類があります。

アンカリングものごとの認識する際、既に保有している自分の知識が基準となる
利用可能性既知の情報や強い記憶などを過大評価しています傾向
代表性典型例やステレオタイプに思考が引きずられる傾向

楽観主義と自信過剰

自分にとって望ましくない出来事の発生確率を低く見積もる傾向が楽観主義バイアスです。自分の判断や能力を過大評価するのが自信過剰バイアスです。この2つのバイアスは直面するリスクを過小評価してしまうことにつながります。

損失回避バイアス

利得と損失が同程度の場合、損失のほうを回避する傾向が強くあらわれることを損失回避バイアスといいます。保守的な判断や惰性的な意思決定を助長します。

現状維持バイアス

損失回避バイアスと同様に、保守的な意思決定を生み出す効果を持つのが現状維持バイアスです。現状維持バイアスは変化に対応するための新たな労力に対する抵抗感であり、変化することで得られる利益を放棄してしまう結果につながります。

フレーミング

文脈のなかでの情報の位置づけがフレーミングであり、同じことでも提示の仕方によって受け取り方が異なります。

ナッジを活用するためのフレームワーク

ナッジ理論が提示している選択アーキテクチャの基本原則のほか、介入方法の検討に役立つフレームワークが生み出されています。イギリス政府がナッジ理論で成果を収めたことを挙げましたが、イギリスの内閣組織BIT(The Behavioural Insight Team)が開発した2つのフレームワークを紹介します。

MINDSPACE

人間の行動に影響を与える要因を挙げているのがMINDSPACEです。Messenger、Incentives、Norms、Defaults、Salience、Priming、Affect、Commitment、Egoの頭文字をとったものです。

Messenger(メッセンジャー)情報提供主体に対する信頼性や抱く感情によって、情報の受け取り方が左右される。
Incentives(インセンティブ)損失回避バイアスや双曲線割引などの心理特性。
Norms(規範)他人の行動に影響される特性。制度的なルール以外の常識やコンセンサスといった社会規範の影響。
Defaults(デフォルト)選択しないことによる省力化、効率化。
Salience(顕著性)理解しやすいものや目立つもの、関係性が強いものに注意が向けられやすい特性。
Priming(プライミング)無意識的のうちに形成されたイメージや潜在意識が行動に影響する。
Affect(感情)客観的・理性的な判断よりも感情が優先される特性。
Commitment(コミットメント)社会性や互恵関係が行動を後押しする。
Ego(エゴ)自尊心や自己イメージへのこだわり。

EAST

EASTは、Easy(簡単に)Attractive(印象的に)Social(社会的に)Timely(タイムリーに)というナッジへのアプローチ方法についての原則を挙げたものです。

Easyデフォルトの活用面倒・労力の削減メッセージの簡素化・明確化
Attractive関心を惹く、注目を集めるインセンティブの設計
Social社会的規範の提示宣言することの効用ネットワークの行動への作用
Timely適切なタイミングの見極め短期的なコストやメリットの訴求計画や予定を事前設定することの効用

まとめ

ナッジ理論は公共セクターでの活用と実績が注目されますが、マーケティング領域でも広告キャッチコピーの文言や登録フォームのデフォルト設定など、行動経済学の知見が取り入れられている例は少なくありません。

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