エスノグラフィーとは|簡単解説
エスノグラフィーのカンタン語句解説
エスノグラフィーは、消費者や生活者を理解するために行う観察することを主眼に置いた調査手法のひとつです。観察者が被観察者と場面を共有しながら観察と対話のなかで理解を深めていく定性調査の一手法と位置づけられます。
エスノグラフィーの概要
エスノグラフィとは、もともとは文化人類学や社会学などの学術分野で用いられる調査研究手法、または、それをまとめた民族誌を指すものです。
調査対象とする集団のなかに入り込んで行うフィールドワークから、観察や対話を通して民族の文化や社会の多様性を調査研究することを目的としています。
ビジネスにエスノグラフィーが取り入れられるようになったのは、1980年代にデザイン思考という人間中心のアプローチが提唱されたなかで、生活者を理解するための方法論としてエスノグラフィーが注目されたことがきっかけです。
ビジネスや組織の課題解決を目的として実施するエスノグラフィーの手法を使った調査を、corporate ethnographyやethnographic-style research、または、ビジネスエスノグラフィーとして区別することもあります。
エスノグラフィーはマーケティングリサーチの調査手法として用いられるほか、人材育成や教育の分野などでも、集団の特徴や個々の行動特性などを理解するための手法として取り入れられています。
学術分野のエスノグラフィーとビジネスエスノグラフィーの違い
文化人類学や社会学では人の営みに焦点を当てて人と社会の成り立ちを明らかにすることを目的としています。一方、主にマーケティングリサーチの手法として用いられるエスノグラフィーでは、消費者・生活者を理解するための定性的な情報を収集することを目的とします。
学術分野とビジネス分野で実施される手法としてのエスノグラフィーの違いは以下のような点が挙げられます。
学術分野 | ビジネス分野 | |
---|---|---|
目的・動機 | 普遍的な真理の探求 | 意思決定の判断材料、アイディアやインサイトの発掘 |
観察者 | 単独・複数 | 複数・チーム |
調査期間 | 長い(数ヶ月~数年) | 短い(数時間~数ヶ月) |
アウトプット | 研究者の個人的な経験による属人的、微視的な情報(厚い記述) | 得られた情報の解釈についてのメンバー間での議論と共有 |
ビジネスエスノグラフィーは、商品開発をはじめとする機会創出・探索のために生活者を理解することが目的です。意思決定のための調査である以上、時間的な制約のなかで行われることになります。
また、フィールドワークに参加する観察者はチームを構成します。観察によって得られた情報をインサイトに結びつける解釈のプロセスには、多様なメンバーの視点が必要になるからです。
この点が研究者の視点に固定せざるを得ない民族学などの学術研究と、企業の意思決定の判断材料とするために合意形成が必要なビジネス分野で実施されるエスノグラフィーの大きな違いとなります。
観察法とエスノグラフィーの違い
エスノグラフィーはフィールドワークのなかでの観察と対話を、情報を得るための方法としています。
そもそも、観察は情報収集のための手段としてあらゆる実証科学の分野で用いられてきたものです。マーケティングリサーチの分野でもエスノグラフィーが導入される以前から、調査手法としてのさまざまな観察法が開発されてきました。
マーケティングリサーチで行う観察法の条件や方法には以下の種類があります。
【人による観察を行う場合の分類】
切り口 | 分類 | 内容 |
---|---|---|
場面設定 | 自然的観察法 | 消費者の店内動線の観察など、現実に存在するありのままの場面における被観察者の行動や状態の観察 |
人為的観察法 | 会場調査など、人為的に設定された場面での被観察者の行動の観察 | |
公然性 | 公然的観察法 | 観察している状況にあることを被観察者がわかる形で行う観察 |
非公然的観察法 | 被観察者に観察していること伏せて観察を行う方法 カメラなどの機器を使う場合も含まれる | |
構成度 | 構成的観察法 | 観察対象の分類や観察手順、観察のポイントなどを明確にした上で行う観察 |
非構成的観察法 | 探索的な情報収集を目的とし、あらかじめ手順や内容を設定せずにあらゆる減少を可能な限り記録する | |
直接性 | 直接的観察法 | リアルタイムで目の当たりにすることを観察する |
間接的観察法 | 冷蔵庫の中身を撮影したり、位置情報のログから行動を分析する | |
参加の有無 | 参加観察法 | 参与観察ともいわれ、観察する場面を観察者が共有するなかで観察を行う |
非参加観察法 | 観察者は被観察者と観察場面を共有しない形で観察を行う |
観察の方法の分類をエスノグラフィーに当てはめてみると以下のような定義づけができます。
エスノグラフィーの観察の方法
- 自然的観察:現実をありのまま
- 公然的観察:観察していることを受け入れられている
- 非構成的観察:あらゆる気づきを探索する
- 直接的観察法:観察者の主観による気づき
- 参加観察法:被観察者と観察場面を共有する
これに加えて、エスノグラフィーでは被観察者への質問や問いかけを行うこと、映像・画像・音声など機器を使った間接的な行動の記録も活用します。
観察者と被観察者の関係性という点では、被観察者が観察を受け入れるための調査への納得と協力が得られていることが条件に加えられます。
また、アンケートやインタビューでは調査結果に調査対象の意思やバイアスが入り込む余地があるのに対し、自然的観察はありのままの事実のみを記録できるということが大きなメリットです。
しかし、直接的観察の結果の解釈は観察者の主観に影響を受けることから、ビジネスエスノグラフィーではチームによる観察と観察結果の共有がより重視されます。
ビジネスエスノグラフィーの有効性を高める10のポイント
エスノグラフィーがビジネス分野で用いられるようになったきっかけとして、デザイン思考のアプローチが取り入れられたことに触れました。
その方法論を提唱した米IDEO社(デザインファーム)のJane Fulton Suri氏による記事「Going Deeper, Seeing Further: Enhancing Ethnographic Interpretations to Reveal More Meaningful Opportunities for Design」から、企業がエスノグラフィーを活用するための10のポイントを要約してご紹介します。
1.非線形的な解釈
観察から得られる結果は、観察ー洞察ー解決と直線的、かつ、単純に結びつけられるものばかりではない。複雑性の高い問題に対してより深く思考を掘り下げていくことが必要。
2.コンテキストの拡大
ビジネスのなかで提示される課題は明確な目標をもっている。与えられた課題に存在する文脈をより抽象化し、課題を見つめる視点をズームアウトすることで、根本的な課題そのものを整理することができる。
3.主観を多層的に取り入れる
課題の捉え方や結果の解釈には個人の主観が入り込むことは避けられない。より深いインサイトにたどり着くためには、多層的な視点から観察の結果を解釈することが必要。
4.例外的な調査対象と類推を活用
被観察者を選ぶ際に、ターゲットとするフィールドの典型的な属性を有する対象を選ぶよりも、例外的な対象者を選ぶほうがフィールドの詳細な部分を浮き彫りにしやすくなる。また、類似するケースを対象に調査を行うことも有効である。
5.文化的な影響を把握する
調査時点の観察結果にとどまらず、それに影響を与える文化的背景にも配慮する必要がある。そうすることで行動の原因や将来的な変化に関するインサイトを得ることができる。
6.複数の情報源を統合する
企業が行う調査はエスノグラフィーだけで完結するものではなく、サーベイやインタビューなど他の調査結果を統合して結論を出す必要がある。
7.エスノグラフィーの実施と方法を公開する
エスノグラフィーを用いた調査過程を公開し多くの人に関与してもらうことで、より有効な方法が見つけられると同時にチームを活気づけ共通認識を醸成させることに役立つ。また、多くの視点を得られることで調査結果をより有用なものにできる。
8.消費者と顧客とのコラボレーション
消費者や顧客を被観察者、観察の対象として位置づけるのではなく、参加者としての協力を求める。一方的な観察や聞き取りというレベルを超えた対話によって双方の理解を深めることが重要。
9.企業の内部にも目を向ける
調査の課題の前提は企業が持つ世界観が前提となる。企業内の個人の視点から消費者の生活感や価値観を再認識することもイノベーションに結びつく。
10.ビジネスエコシステムの拡大
企業が行うエスノグラフィーは消費者との二者間の関係性を解き明かすことが目的であるが、企業のエコシステムを構成する他の関係者も対象にインタビューや観察をすることが、課題解決につながるインサイトを発見することにつながる。
まとめ
学術分野で行われてきた伝統的なエスノグラフィーにおいて、調査対象とする異文化を持つ集団の生活環境や社会状況は、観察者にとってはすべてが新しい事実として認識されるものであったと考えられます。そのため観察者(研究者)の主観も含めて詳細に情報を集めることが有用とされました。
一方、ビジネスエスノグラフィーで観察の対象とする消費者や生活者が取る行動は、観察者の生活感と重なる部分も大きく、新しい発見にたどり着けるかどうかは、観察者に委ねられる部分が大きいと同時に集める情報の厚さが重要となります。
ビジネス領域で実施されるエスノグラフィーは確立された方法論が提供されるものではなく、観察することを主眼に置きながらさまざまな工夫がくわえられていくものと考えられます。